サーキュリストという名前をつける前から、私はずっと同じことを考えていた。
「所有は、何のためにあるのか」
所有は手段であって、目的ではない
物を持つこと自体が目的化すると、所有はいつのまにか重荷になる。増えることが良いことのように錯覚してしまう。
しかし本来、所有は幸福という目的のための手段の一つに過ぎない。
幸福の物差しは、人によって違う
ここで注意したいのは、「少なく持つことが幸福」とは限らない、という点だ。
多く持つことで満たされる人もいれば、少なく持つことで身軽になれる人もいる。サーキュリストは特定の物量を正解だとは考えない。
大事なのは、量ではなく、循環している実感があるかどうかだと思う。
コストとリターンを、金銭以外でも数える
所有にかかるコストは、購入費だけではない。維持費、時間、空間、手間、注意力、ストレス、判断コスト、そして手放すコスト。
一方でリターンも、満足、経験、学び、楽しさ、自己理解など、金銭に換算しきれないものが多い。
このコストとリターンのバランスを、金銭以外の軸でも意識するようにしている。
循環という考え方
入口、所有・利用、出口。この一連の流れを繰り返していくことを、私は「循環」と呼んでいる。
循環は、頻繁に物を入れ替えることを推奨する考え方ではない。長く一つの物と付き合うことも、立派な循環の一部だ。重要なのは、入口から出口までを自分の意思でコントロールできている感覚があるかどうかだと思う。
今のところ、こう考えている
この考え方はまだ発展途中で、今後も変わっていくと思う。
TODO: ここに、著者自身が「所有と幸福」について実際に体験した具体的なエピソードを追記する。
サーキュリストは、誰かに生き方を押し付けるためのメディアではない。あくまで、私自身がこう考え、こう試している、という記録として書いていきたい。